GTS1000開発ドキュメント

このページは、以前 http://www.yamaha-motor.co.jp/yamaha/gts.html にあったドキュメントを、当サイトにて復刻したものです。
文章は orginal のままですが、それ以外は資料がないため、当方で肉付けしています。
より詳しい情報(当時のサイトをプリントアウトしたものなど)お持ちの方いらっしゃいましたら、是非ご連絡下さい。

合い言葉は、オール・ニュー。
「つくりたかったものを、とことん作り込んだ。こいつはオール・ニューなんだ」と、その男は言った。すべてが新しい。すべてに冒険的。20世紀のモーターサイクルの系譜は、ここに収束する。スポーツツーリング、YAMAHA GTS1000誕生。

車輪を操る快楽

 バイクは英語では motorcycle だ。モーターで車輪を回すという機構そのままが名詞になっている。これが日本ではなぜか auto (自動)と bicycle (自転車)をくっつけた造語の「オートバイ」として定着してしまった。足でこがなくても走るという利便性が反映したというか、これはこれで言い得て妙ではある。しかし、本来の英語とは異なるこの若干のニュアンスの差が、実は欧米と日本とのバイクをめぐる価値観のズレを生じせしめているとしたら、どうだろう。欧米、特にヨーロッパでは 750cc を超える大排気量バイクの需要が多いが、需要層の大半はヤングではなくアダルト。しかも高所得者層が多い。彼らは日常の足としては高級乗用車を使い、週末になるとバイクを引っ張り出して、夫婦2人乗りで別荘などへ行く、 tourting の快楽を体験する。 そのための道具としての位置付けなのである。したがって、イメージは自転車の発展型などではなく、むしろ乗馬に近い。メカニカルでステイタスでもある人工の馬。それがヨーロッパにおける大排気量バイクのイメージと言っていい。しかし、バイク型だのオールドファッションではないのもまた確かなことだ。「人工の馬」だからこそ、パワフルでスポーティーで、確実な操縦性が求められる。快適なツーリング性能と、たくましい動力&運動性能。まさに二律背反の要求である。そこで、これまでのバイクはスーパースポーツ(タイプ)とヨーロピアンツーリング(タイプ)の2つの流れに分化して発展を遂げてきた。機能性の持たせ方の違いか、要は乗り味が違うのであり、各々の「味」を支持するファンが存在する。では、その両極のファンをも同時に満足させ得るバイクは、果たしてできないのだろうか・・、その発想が GTS1000 開発の契機となった。

ニーズを技術に翻訳すれば

 開発のPL(プロジェクト・リーダー)伊藤太一によれば、開発にあたって留意すべきポイントは3つあった。「スポーツ性があって快適でということのほかに、社会性への配慮が大きなテーマになっている。とくにドイツあたりでは環境保護の関心がものすごく盛り上がっているわけです。排ガスや騒音の問題とバイクも無縁ではなくなってきました」排ガス対策などを施したバイクに乗ることが一種のステイタスにさえなりつつある状況だという。またEC統合を機にバイクの馬力の上限を100馬力に規制する動きも現れ始めている。ヤマハ発動機としてもスポーツツーリングGTS1000を開発するにあたっては、排ガス浄化や省エネルギー、ベスト100PS性能にとくに留意して関連技術の開発に取り組んだ。 具体的には新しいEFI(電子制御燃料噴射装置)(※注3)の採用により、(1)スロットルレスポンスを高め、(2)新触媒との組み合わせで排ガス浄化を行うとともに(3)燃費効率の向上などを図った。燃料噴射装置のエンジンへの応用自体は過去(XJ750Dなど)で例があるが、社会性への配慮を大きなテーマに掲げた今回の開発では、吸排気系諸元や圧縮比などで全面的な見直しも行われた。その開発の実行部隊のリーダーとなったのがPC(プロジェクト・チーフ)の林典男と大隅弘。林は電装設計を担当し、大隅は林から持ち込まれたEFI系のエンジン実験を担当した。林も大隅も共に同期入社のPCだが、ヤマハ発動機ではこの年代層が実質的なチームリーダーを担っている。 彼らが商品企画のブレーンストーミングの段階から参画し、製品となる全体のイメージを作り上げることから開発はスタートする。技術屋は同時に企画、デザインにも噛み込めるのである。「ユーザーの要望」を技術用語におきかえて考えていくことから始まるんです。早く走りたい、楽に走りたいといった抽象的な要求を、ではどういう速さで何馬力のものにするか、そのためにはどんな仕様にするか、……そうやって企画内容をどんどん具体的にしていって、デザインスケッチの段階へとまとめあげるんですね」(林)企画の段階で実地のリサーチを行う場合もある。GTSも3週間のヨーロッパツーリングや北海道ツーリングを実施し、開発の方向性を模索した。「体験主義なんですよ……。ウチではよくそういうことをしますね。一番楽しい段階かな」(大隅)

乗り味を科学する

 モーターサイクルは、「走る」「曲がる」「止まる」の3要素に対し、ライダーの操作とマシーンの挙動にダイレクト感がある事が、4輪との異なる点である。そこに種々の「乗り味」が要求される。たとえばスロットルの変化が細かいために、与えようとするエンジンの考え方のロジックを微妙に変えて試験しながら不具合点を改良していかなければならない。思い通りに走らせようとする、その「思い通り」が実に微妙なのである。そこで大隅の出番だ。「センサ類の構成や制御系の補正がちょっと変わるだけでエンジンの性能は大きく違ってくる。レースのように極限の技術追求の素晴らしさとは、また異なる味付けが市販車には要求されます。 ギクシャク感もトルクの味になるし、とにかく色々な要素があるわけです。そんな人間の感性に類するようなことはコンピュータでは割り切れないから、バイクの場合、どうしても実験や試験が綿密を極めるのですね」(大隅)コンピュータを使ったシミュレーションももちろん徹底して行われる。エンジンの場合、体積効率によってトルクカーブは決まるが、実走行での加速のG、フィーリングやレスポンス、車体の微妙な挙動、さらには空燃比との関連性まではコンピュータでは演算できない。コンピュータでシミュレーションを行うにしても、入力する要素をできるだけ単純化してやらないと、役立つデータは得られないということになる。 GTSは、ましてや電子制御だ。キャブレターであればある程度経験値で判断できることも、電子ユニットが実験現場ではブラックボックスであるだけに、実験PCの大隅のイライラは募った。走らない、と「何でや!」と林を呼び出す。「おかしい、どうも途中で吹かないね」となって調べてみると、単純な結線ミスであったりする。そうすると、PC自らワイヤーハーネスをゴソゴソといじくり回して、現場で手直しである。「ウチでは仕様決定から電線切りまでやらされる。逆に言えば、いろんなことができるし、オレ達でとことん作っているという実感がある。GTSでも、かなりわれわれの意見が入っていますよ。はっきり言って、これは自信作です」・・林の語りに大隅も深く頷くのである。

ヤラセロの呪文の果てに

 メカの塊であったバイクも今や、マイコンとセンサ、アクチュエータが一体となったメカトロニクス・システムが、ふんだんに活用されるようになった。GTS1000Aでは吸気系に採用されたEFIをはじめ、ABS(アンチロックブレーキシステム)が、その代表的な例だ。主な機能をピックアップしてみよう。

 「私が入社した頃はまだ電気の仕事ばかり多くて電子じゃなかったですね。10年ほど前にバイクにステレオを搭載する企画があって、それをやってみなさいというのが私の携わった最初の電子技術開発だった。それから徐々に制御や回路の仕事が増えてきて、最近はABSやEFI。『やらせろ、やらせろ』と言い続けているとかなうみたいだな、ウチの会社は」(林)
 電装屋、10何年かの感慨である。

オール・ニューの次なるニューへ

 GTS1000の登場は、日本のバイクファンの間でも大きな話題を呼んだ。彼らはどこに注目したか。「片持ちサス」である。正しくはフロント片持ちスイングアームサスペンション。量産は世界で初めて。冒頭に記したコンセプト「馬力があって快適なスポーツツーリングバイク」が実現した秘密は、まさにここにある。特徴を簡単にいえば、操舵系とサスペンション系の機能を分離独立させることによって、(1)サス剛性の高さ、(2)作動性の良さと(3)設計の自由度を大幅に高めることに成功している。当然、従来の操舵メカニズムは使えないから、バイクの骨格(形態)が他のバイクとは大きく異なる。 開発を指揮した伊藤PLは言う。技術の根本から「オール・ニュー」なのだ。剛性や作動性の向上にこうまでこだわったのは、「2人乗りでロングツーリング」という使用状況を前提にしているためであり、ブレーキング時の間隔は、おそらく乗る人に車の制動を思い起こさせる。バイクのブレーキング特有の沈み込み感が打ち消されているのである。ただし、こればかりは実際に乗って体感してもらうしかない。フロントとリアのスイングアームピボット部を結んだ形のシャーシも新開発だ。計上がギリシア文字のオメガに似るところからオメガシェイプシャーシと呼ばれるそれは、マシンの低重心化とマスの集中化など数々のベネフィットを生んでいる。ここでも「オール・ニュー」である。 続けて伊藤は言う。「コストを取るか技術を取るかという命題は開発に常についてまわるが、GTSでははっきりと技術追求を選択した。もちろん、その選択基準はユーザーにあるが、現状では、やれることはやりきったと言っていいと思う」「しかし」と伊藤は続ける。「これをやりきったことで、また新たな開発シーズが生まれている。GTSに結晶した技術の他車種への波及とともに、われわれはもうGTSを超えるバイクの開発を始めていますよ」メカ屋がとことん理想を叩き込んだ。電気屋がソフト屋が、「電子化」の糸をメカに編み込んだ。実験屋が制御屋が、とことんメカトロを鍛え抜いた。「オール・ニュー」は、そうして確かに開発屋たちの自負となった。目標は達成された。しかし、そのこともまた「終わりの始まり」の一例であるに過ぎない。
 林も大隅も、すでに新たなマル秘を始めている。


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